シュタイナー学園16期卒業生 
角田萌果さん(前編)

「シュタイナー教育」と聞いて思い浮かぶのはなんでしょうか?
メディアを避ける教育、テストや点数による評価のない教育、自然に親しみなんとなく自由そうな教育…。漠然と浮かぶのはそんなイメージでしょうか。
シュタイナー学園は長い時間をかけて築き上げられたシュタイナー教育独自のカリキュラムに沿い「芸術としての教育」「自由への教育」を行う小学校から高校までの12年間の一貫教育です。
いわゆる「普通」とは違うこともありますが、何より大事にされていること。それは子どもが子どもらしく育つということではないかと思います。一人一人の子どもが、その子らしく、その子に沿った成長をしていくのを手助けし見守る。それがシュタイナー教育のおおきな特徴でもあると思います。そんな意味では、一人一人の成長、一人一人の人生こそが「シュタイナー教育らしさ」なのではないかとも思います。
シュタイナー教育を受けた子どもたちは何を感じ、何を考え、現在一人の大人としてどのように社会と関わり、人生を歩んでいるのでしょうか?この連載では卒業生たちのインタビューを通して多彩な一人一人の物語の一端を、お伝えできたらと思います。
角田萌果
俳優/青年座映画放送所属/新国立劇場演劇研修所10期修了/学校法人シュタイナー学園卒業/《舞台》【トロイ戦争は起こらない】他 多数出演中

21歳の角田萌果さんは舞台俳優として活躍しています。
学園を卒業後、難関である新国立劇場の演劇研修所(俳優養成所)に合格・入所し、3年の研修期間を経て今年デビューを飾りました。現在都内で一人暮らしをしながら、秋に開幕した舞台で忙しい日々を送られています。
この日インタビューのために藤野にやってきてくれた萌果さんに、藤野芸術の家にあるレストランART&GREENで、お話を伺いました。

引くっていう記号ひとつでも背景に物語を見せながら教えてくれることに『こんなにちがうんだ』と子供心に感じました。

●萌果さんとシュタイナー教育との出会いについて教えてください。

わたしは最初公立の小学校に入学したのですが、公立学校の教員だった両親はシュタイナー教育に関心を持っていました。それで「土曜クラス」という外部にむけた土曜日だけのクラスに通うことになったんです。土曜クラスではシュタイナー学校で取り組むフォルメンやオイリュトミーを体験し、わたしがとても楽しそうにのびのびと過ごしている様子を見て、両親は転入を考えたようです。当時はまだ学校法人化はされておらず、東京シュタイナーシューレというNPOのスクールでした。それでも一学年20人ほどの学級で、三鷹に校舎がありました。そこに2年生から正式に通いだしました。

●転入して公立の小学校とシュタイナー学校はなにか違いがありましたか?

シュタイナー学園の授業をうけた時に感じた違いは、今でもよく覚えています。公立の小学校で算数の計算法として、足し算や引き算を習っていました。それがシュタイナー学園では、引くっていう記号を習う時に「狐の尻尾が伸びて…」というような例えと共に教わって。引くっていう記号ひとつでも背景に物語を見せながら教えてくれることに「こんなにちがうんだ」と子ども心に感じました。あとは朝学校に行くとクラスの子達が手仕事をして過ごしていて。わたしもみんなと一緒に朝早く学校行って、手仕事をするのを楽しみにするようになりました。

●「手仕事」もシュタイナー学園にある特徴的な授業のひとつですよね。羊毛を紡いだり染めたり、編棒も一から自分で作って、その編棒を使って編み物をしたり。

そうですね。でもわたしは編み物は苦手で。先生にも「萌果さんは編み物になると頭いたくなっていたよね」と今でも言われます。低学年の頃はとにかく運動遊びがすきでした。自由時間は缶蹴りや木登りをしたり、走り回って遊んでいました。

 

藤野の緑の中で育ったことはシュタイナー教育を受けたことと同じくらい大きなことだと思っています。

●学園が法人化されたのは何年生の時だったのでしょうか?何か変化はありましたか?

4年生の時です。大きな変化は、当時三鷹のシューレの近くに家族で住んでいたのですが、法人化され藤野への移転が決まったことですね。学園の移転に伴ってわたしたち家族もまずは引っ越しやすい高尾に移り、その1年後、5年生の時に藤野に自宅を構えました。藤野に越してきて、放課後はやぶの中に秘密基地をつくったり山の中を駆け回って遊ぶようになりました。もともと家族で登山をしたりキャンプにいったり自然に親しんでいましたが、自分が生活をする場所として、藤野の緑の中で育ったことはシュタイナー教育を受けたことと同じくらい大きなことだと思っています。植物や陽射しの変化で季節の移り変わりを体に感じ、夜には真っ暗になるような生活がリズムを作り、気分を晴らしてくれると感じます。

正解を先生に教わるのではなく、自分達で教材のモチーフについて考察し、存在の意味を考えて問うていく行為がとても面白かった。

●学園での印象的な学びについて教えて下さい。
10年生の3学期に国語で「自分史」※を書くという授業がありました。生まれて最初の記憶から今まで、起こった出来事や思うことを書くというものです。何文字以上とか、どんなてテーマでとか、何も決まっていません。それぞれの生徒が自分で全てを決めて、思うように書きます。発表するためではなく見るのは国語の先生と自分だけ。わたしは初めての記憶からその当時のことまでをノートに3冊分、書きました。
ちょうど他者と自分の違いに悩み、人間関係にストレスを感じていた時期でした。悩んでいること、きっかけとなった出来事、苦しかったことをそのまま、うわーーーと書いていくことで、自分と向き合い、考えることができました。もやもやと溜まっていたことを言語化していくことで、自分でも何だかよくわからないままだったものを受け止めていくことができたんです。

自分史のノート

●ありのままの自分のことを言葉にして見せるのは、なかなか勇気のいることですよね。国語の先生とはそれができる信頼関係があったのですか?
そうですね。信頼関係ができていました。きっと生徒それぞれ、深い信頼関係を結んでいた先生がいたと思うのですが、わたしにとってそんな先生の一人が「自分史」を担当していた先生でした。
シュタイナー学園では7年生から国語は専科となり、専門の先生に習います。当時は不二陽子先生という先生が中等部高等部の国語を担当していました。わたしは不二先生の国語にとても影響を受けたんです。
例えば近代小説比較という授業で3つの小説を読み比べた時。「羅生門」を読んで、羅生門に出てくる「門」とはなんなんだろう?とみんなで考えたことがありました。そんなこと考えたこともなかったのですが、まずそれぞれが門の絵を描いてきて。皆でディスカッションしながら「門」という存在について考えていき、囲いがあってその中へ入るための入り口が「門」だよね、という結論にたどり着くんです。正解を先生に教わるのではなく、自分達で教材のモチーフについて考察し、存在の意味を考えて問うていく行為がとても面白かった。授業の中でそんな体験を重ねたことが、戯曲を分析し、バックグラウンドを調べ、それをもとに人物を想像して創っていくという、今の俳優という職業につながっていると感じています。」

※当時のカリキュラムに基づいています

後編につづく

シュタイナー学園独自とも言える授業が今現在の仕事に色濃く影響していると語る萌果さん。
インタビュー後半では、進路を決めた経緯や卒業後の生活についても詳しく伺います。

 

ライター 中村暁野

他の記事をよむ