シュタイナー学園16期卒業生
川村拓希さん(前編)

「シュタイナー教育」と聞いて思い浮かぶのはなんでしょうか?
メディアを避ける教育、テストや点数による評価のない教育、自然に親しみなんとなく自由そうな教育…。漠然と浮かぶのはそんなイメージでしょうか。
シュタイナー学園は長い時間をかけて築き上げられたシュタイナー教育独自のカリキュラムに沿い「芸術としての教育」「自由への教育」を行う小学校から高校までの12年間の一貫教育です。
いわゆる「普通」とは違うこともありますが、何より大事にされていること。それは子どもが子どもらしく育つということではないかと思います。一人一人の子どもが、その子らしく、その子に沿った成長をしていくのを手助けし見守る。それがシュタイナー教育のおおきな特徴でもあると思います。そんな意味では、一人一人の成長、一人一人の人生こそが「シュタイナー教育らしさ」なのではないかとも思います。
シュタイナー教育を受けた子どもたちは何を感じ、何を考え、現在一人の大人としてどのように社会と関わり、人生を歩んでいるのでしょうか?この連載では卒業生たちのインタビューを通して多彩な一人一人の物語の一端を、お伝えできたらと思います。
川村拓希
写真家/シュタイナー学園16期卒業後、沖縄辺野古の基地建設の現場を撮り続ける。日本写真芸術専門学校卒業/ドキュメンタリー写真家としても活躍中。

前回の角田萌果さんよりリレー形式で紹介していただいた川村拓希さんは萌果さんの同級生。現在カメラマンとして自らの作品を撮影しながら、制作会社でドキュメンタリー写真家としても活躍されています。そんな川村さんにシュタイナー学園での生活を経てカメラマンという道を志したきっかけや現在についてお話しを伺いました。

違いは感じたけど、ギャップは特に感じなかったんです。

●川村さんとシュタイナー学園の出会いをおしえてください。

「僕は4人兄妹の3番目で。姉2人妹1人の間なのですが、姉2人もシュタイナーに通っていたのでもう自動的にそれ以外の選択肢はないって感じでなのはな園(シュタイナー幼稚園)に通い出したのが最初です。それが自分にとっては普通だったので何が印象的だったとか意識することもないくらい当たり前に通っていました。」

●そうなのですね。それでは「シュタイナー教育」を意識し出した頃はあったりしますか?

「実は小学校3年生からずっと野球をやっていたんです。シュタイナーでは低学年の頃には球技はしませんし特に激しいスポーツは推奨されていないんですが、最初は親にもないしょで野球チームの練習に参加したりして。5年生からは地域のクラブチームに入って放課後は毎日練習。本気でやっていました。チームのみんなは公立の学校に通っている子達だったので、当然テレビやゲームの話が飛び交っていて。でも自分はテレビも見ないしゲームも持っていないので話が全然分からない。そういった時に違いのようなものは感じたかもしれないです。」

●違いを感じてつらかったり、憧れを持ったりはしませんでしたか?

「違いは感じたけど、ギャップは特に感じなかったんです。野球という共通言語があったし、野球をやりたくて集まっている仲間でしたから。なのでそれがつらかったという感覚はなかったですね。ゲームはそういえば一回、こっそり学園の同級生たちとお金をだしあって古いゲームボーイを買ったことがありました。それでハマって放課後みんなでやってたらすぐバレて没収になって笑。でもそうやって一回やったあとは結局鬼ごっことか楽しいよなって執着も憧れもなかったですね。」

卒プロまでに自分の本当にやりたいことを見つけよう、そして卒プロでそれを形にしようと思えたことが、最終的な決め手となってシュタイナー学園にそのまま進学することを決めました。

●野球はいつまで続けていたのですか?

「中学3年生までチームに所属していました。そのクラブチームは中学3年になるとスカウトがくるんです。それでだいたいみんな野球の強豪高校にスポーツ推薦で入っていく。自分にもスカウトがありました。その時、すごく悩んで。野球を続けてシュタイナー学園はやめるのか、それともシュタイナー学園に行って、野球は辞めるのか。考えた時、スカウトは来たけれど、将来プロになれるほどの力は自分にはないと思いました。だったら本当にやりたいことを見つけたいと思って、シュタイナー学園の12年生が取り組む卒業プロジェクトをやりたいと思ったんです。卒プロまでに自分の本当にやりたいことを見つけよう、そして卒プロでそれを形にしようと思えたことが、最終的な決め手となってシュタイナー学園にそのまま進学することを決めました。自分にとって、卒プロがあるっていうのは大きなことだったんです。」

●中学三年生にしてそこまで将来のことを考えていたなんてすごいですね。

「だからといって高等部での生活中ずっと『俺はなにをしたいんだ⁇」と考えていたわけではもちろんなく笑。普通に同級生と遊んだりしつつ。」

●そうして進学した高等部での生活で印象にのこっている出来事はありますか?

「3.4つ上の代から吉野校舎(9~12年生の通う校舎)が出来たんです。それまで廃校だった小学校をみんなで修復して自分たちの力で学校を作り変えていた時だったので、そのことはよく覚えています。壁をぬりかえたり蛍光灯を電球に変えたり。体育館のカビがすごかったのを夏休みに有志で掃除したり。」

「社会」のこと、この時代の中で自分ができることや大切にしたいことはなんだろう?ということを考えるようになりました。

●高校生活を楽しみつつ、進学の決め手ともなった卒業プロジェクトにどのように取り組んでいったのでしょうか。

「今、カメラマンとして活動していますが、卒業プロジェクトで初めて写真を撮ろうと決めました。写真を通して自分を表現したいと思ったのですが、そこに至るまでにはいくつかのきっかけがありました。ひとつは中学3年生のときに東日本大震災が起こったこと。今まで信じていた平和とか政治とかが揺らいだように感じ、揺らいだことで初めて「社会」を意識しました。もうひとつは同級生にいろいろなことを知ってるおもしろい友人がいて、その人と一緒に戦争の話をたくさん聞いたこと。戦争のことを知りたいと思い、ゼロ戦機に乗ってらっしゃった方々に会って話を聞かせてもらったんです。ゼロ戦の会というのがあると知り、知らないおじいちゃんに電話して「お話きかせてください」って頼んで10人くらいのお話を聞かせてもらいました。話を聞いて、改めて「社会」のこと、この時代の中で自分ができることや大切にしたいことはなんだろう?ということを考えるようになりました。自分が描いていた「社会」と現実にはすごくギャップがあった。そう感じた時に、写真とは現実のリアルを写しつつ作者の意図を通して作られた世界でもあると思い、それが今の社会と社会に対してギャップを持つ自分の、中間を写せるもののように感じたんです。そしてそれが卒プロにつながっていきました。」

決意を持ってシュタイナー学園の高等部に進み、「社会」というものに対峙しはじめた川村さん。後編では卒プロを通し気付いた「大切にしたいこと」、そこからカメラマンとして活躍されている現在に至るまでをお聞きします。

ライター 中村暁野

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