シュタイナー学園16期卒業生 
川村拓希さん(後編)

「シュタイナー教育」と聞いて思い浮かぶのはなんでしょうか?
メディアを避ける教育、テストや点数による評価のない教育、自然に親しみなんとなく自由そうな教育…。漠然と浮かぶのはそんなイメージでしょうか。
シュタイナー学園は長い時間をかけて築き上げられたシュタイナー教育独自のカリキュラムに沿い「芸術としての教育」「自由への教育」を行う小学校から高校までの12年間の一貫教育です。
いわゆる「普通」とは違うこともありますが、何より大事にされていること。それは子どもが子どもらしく育つということではないかと思います。一人一人の子どもが、その子らしく、その子に沿った成長をしていくのを手助けし見守る。それがシュタイナー教育のおおきな特徴でもあると思います。そんな意味では、一人一人の成長、一人一人の人生こそが「シュタイナー教育らしさ」なのではないかとも思います。
シュタイナー教育を受けた子どもたちは何を感じ、何を考え、現在一人の大人としてどのように社会と関わり、人生を歩んでいるのでしょうか?この連載では卒業生たちのインタビューを通して多彩な一人一人の物語の一端を、お伝えできたらと思います。
川村拓希
写真家/シュタイナー学園16期卒業後、沖縄辺野古の基地建設の現場を撮り続ける。日本写真芸術専門学校卒業/ドキュメンタリー写真家としても活躍中。

カメラマンとして活躍されている川村拓希さんのインタビュー後編をお送りします。

前編では野球漬けだった小中学校時代を経て、高校生活の中で意識しだした「社会」について、そこからカメラという道を選んだきっかけを伺いました。後編ではカメラを持った川村さんが、どのように「社会」と関わっていったのかを伺いたいと思います。

 

1つ1つバラバラな個性と向き合うことでしか見えないこともあると思ったんです

●卒業プロジェクトでは職人さん3人を撮影・取材したことをまとめたとお聞きしました。どうして職人さんを取り上げようと思われたのか教えていただけますか?

「戦争体験の話を聞いたりしているうちに、この時代の中で大切にしたいものはなんだろう?と考えました。資本主義や大量生産型社会を否定するわけではないけれど、そうではなく1つ1つ誰かの手によって作り出されるものや個人で技を磨いていくような伝統技術に魅かれる自分がいました。それはちょっとシュタイナー教育と似ている部分もあって。全部を均等にすることは効率的で楽なんだけど、1つ1つバラバラな個性と向き合うことでしか見えないこともあると思ったんです。それで職人さんを取り上げたいとおもいました。

もうひとつ、高校2年生の時に福祉実習に行き、そこで色々教えてくださった職員の方に『川村くんさあ、仕事で人間関係と収入と達成感、どれを選ぶ?』と聞かれたことがあり、その言葉がずっと残っていました。なので、取材の際にはそれを軸にしようと決めました。

卒プロの担当の先生とも相談しながら3人の職人さんを取材することを決めたので、そこから自分で職人さんを探し、交渉していきました。そして屋敷林という個人邸宅などに生えている木を地主から買い取り、切って売る空師と呼ばれる職人さんと、建築家の方、落語家の方の3人を取材させてもらいました。」

●自分で探して交渉して、そして取材。大変なことですよね。

「そうですね。例えば空師の方には自分はこういうもので卒業プロジェクトでこういうことをしたくて、と突然手紙を送って始まりました。そうしたら電話がかかってきて「川村くん?じゃあ埼玉のどこどこのコンビニで待ってて」と言ってくださって。コンビニで待ち合わせしてはじめまして、ってお会いして。そこから取材を始め、自分がテーマとして定めた仕事での人間関係と収入と達成感についてお話しを伺いながら、撮影を重ねました。

取材の中で悩みながら答えてくれたものを写真と文章にまとめ発表した経験を通して、改めて自分は写真をとっていきたいと思いました。発表の評価や結果よりも、悩みながらつくっていった時間がとても楽しかった。」

川村さんが卒プロで撮影した空師の写真

シュタイナー教育で得たもののひとつは「悩む訓練」をたくさんしたってことかな、と思っています。

●悩むことがたのしかった、というのは?

「自分がシュタイナー教育で得たもののひとつは「悩む訓練」をたくさんしたってことかな、と思っています。その後写真の学校に行った時、答えのないところに向かって頑張ることが出来ない人が多いのかな、と思うことがありました。でも芸術は答えがない。答えがない状態で悩み続ける。その訓練のようなことを、授業や卒プロを通して学園でたくさん経験できたことは良かったと思っています。」

●写真という道を決めて、卒業後は写真の学校へ進学したのですか?

「それがしなくて。ゼロ戦の話を聞いた後、戦争の話をもっと聞きたいという思いがありました。それで沖縄に行きたいとおもっていたんです。でもお金もなかったので卒業後はバイトしてお金を貯め、9月から沖縄にいきました。なんのツテもなくカメラと荷物だけもって行ったのですが、最初は宿の人に紹介してもらった家から始まって、いろんなおばあちゃんの家に泊めてもらいながら、戦争体験の話を聞かせてもらっていました。

そうしていたら基地問題で揺れる辺野古にたどり着き、常に警察が100人くらいいる異様な光景を目の当たりにして。同時に僕が東京から来たっていうだけで怒鳴られるような体験も何度もしました。沖縄の、特におじいちゃんおばあちゃんの中には東京のせいで自分たちが今も苦しみ続けている、という思いを持ってる方も多くいると知り、このことについて、ちゃんと悩まなくてはいけないと思ったんです。

9月から翌年の4月まで沖縄で写真を撮り続けました。春からは写真の専門学校に行こうと決めたので、試験だけ受けてまたとんぼ返りし、入学の前々日まで沖縄にいました。」

川村さんが沖縄で撮影し続けている作品の1枚

●シュタイナー学園時代から川村さんの行動力と決断力はすごいですね。

「沖縄にいた時、今後どうしよう?という不安はもちろんあって、写真の学校に行こうか、でも学校にいくのは逃げかな?と悩みもしました。でも2年間学生という立場になって写真を学べたことはよかったとおもっています。プロの写真家の方に見せ方や技術を学べましたし。学生の間も2ヶ月に1度は沖縄にいって辺野古の撮影を続けていました。夜8時から朝8時まではカレンダーの折り込みをして、夕方にもうひとつバイトをして、学校にいって、という生活だったので学生時代は本当に大変でしたね。」

●そうして撮り続けた写真は発表されたのでしょうか?

「2年間撮ったものを去年一度まとめたんです。でもまとめた時に、これはまだまとめてはいけないと思いました。なので今でも継続して撮り続けています。現地にずっと滞在し密着して撮るのではなく、少し距離をおきながら、ゆっくり撮っていこうと思っています。作品として形になるのは何年も何年も先だと思うし、そうではなくてはいけないものだと思っています。」

川村さんが沖縄で撮影し続けている作品の1枚

わからないことに向かって悩み続けていきたいです。

●写真学校を卒業され今はドキュメンタリー写真の分野でも活躍されていらっしゃいますが、今後はどういった活動をされていきたいとおもっているのでしょうか?

「ドキュメンタリー写真を仕事として撮るようになったのも辺野古の撮影を通して出会った人のつながりがきっかけでした。仕事の写真と自分が撮りたいものは別もので、そのバランスが難しくはあるのですが、この状態はある意味理想的でもあるとおもっています。僕は何かを決めつけられることにとても抵抗があります。言語が自分の感情に追いつかないようなことを悩むってことが、僕にとっての写真なので、これからもその都度その都度小さい答えを出しながら、わからないことに向かって悩み続けていきたいです。」

簡単に答えを出さず、悩み続けること。

結果や結論を導き出すことは一見重要なことにも思われますが、世の中で今起こっている多くの問題は、簡単には答えが出ないようなことばかりです。悩み続けることで、物事と向き合い続ける。

しっかりと社会と対峙している川村さんのお話から、1人の大人として、社会に向き合う姿勢を改めて考えさせられる時間となりました。川村さん、ありがとうございました。

この連載はリレー形式で続きます。次回は川村さんにご紹介いただきました清水隆陽路くんにご登場いただきます。

ライター 中村暁野

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