シュタイナー学園保護者 
池辺潤一・澄さん
(前編)

藤野シュタイナー学園は都心から少し離れた山間の小さな町の中にあります。
自然豊かで四季の移ろいを感じられる素晴らしい環境の中、のびのび子供達が過ごせるという大きな魅力がある一方、家族の暮らす場所や生活スタイルにも時に変化を要するという現実も、またあります。
仕事に通えるのか?買い物はどうするのか?田舎暮らしなんて想像出来ない...。学園への入学を考える保護者の方からはそんな声も寄せられています。
このインタビューでは学園にお子さんを通わせる保護者の方々のお話を通して、実はシュタイナー教育と同じくらい魅力的な「藤野」という場所と、暮らしの中で得たこと、変化したこと...様々な家族の暮らしをご紹介していきたいと思います。
学園11年生保護者
池辺潤一さん・澄さんご夫妻
相模原市緑区芝田地区在住
潤一さんは建築家、澄さんは天然酵母のパン屋を営む

藤野の芝田という地区に建つ、光が差し込む白い家。建築家である池辺潤一さんの設計した自宅でもある一軒家の一角からは、天然酵母のパンが焼けるいい匂いがします。ここは藤野で大人気のパン屋さん「ス・マートパン」。池辺澄さんが焼く美味しいパン目当てにお店があく水曜日と木曜日にはたくさんのお客さんが訪れます。池辺さんご夫妻は現在11年生になる娘さんの小学校入学を機に、藤野へと移住されました。当時潤一さんは都内での仕事がメイン、澄さんは機織りの仕事をしていて、まさかパン屋になるとは想像もしていなかったといいます。やってきた藤野で、導かれるようにまったく新しい暮らしを築いてこられた夫妻のお話をうかがいました。

もっともっと田舎だったら、のどかに楽に暮らせるかなあという思いがあって、漠然と田舎くらしをしたいと思うようになりました

こちらへ来る以前はどちらにお住まいだったのでしょうか?

澄さん「ここへくる前は日野に住んでいました。周りには畑があるようなのどかな場所で、とても良い環境ではあったんですけれど、娘が大きくなるにつれて『このままでいいのかな?』という思いが湧いてきて。当時娘は地域の保育園に通っていたのですが、例えばテレビやゲームとの付き合い方とか、うちで守りたいと思ってる部分も、小学校になったら貫くのは難しいんじゃないかと思うことがあって。もっともっと田舎だったら、そういった部分でものどかに楽に暮らせるかなあという思ったりして、漠然と田舎くらしをしたいと思うようになりました。」

潤一さん「小学校にあがる前に動きたかったから、実際に土地を見に行ったりを始めたのは娘が年中の時からかな。僕は都内の仕事が多かったので、あまり遠くない範囲ということで最初は千葉の海沿いを見たりしていて。」

それがどうして藤野に引っ越されることになったのでしょうか?

澄さん「その頃は夫の仕事がすごーく忙しくて。そのストレス発散として日帰りで行ける温泉にいきたい!って時があったんです。調べたら高速で1時間くらいで行ける藤野というところに温泉があると。それからたまに温泉に入りにきていました。藤野は名所もとくにないんだけど、なぜか心地よくて、来るたびに滞在時間が長くなっていたんですね。それで藤野のshuというレストランがあるんですけれど、そこで食事をしていた時にオーナーのかずこさんに、田舎暮らしがしたくて土地を探しているという話しをしたら『藤野に来ちゃいなさいよ。楽しいわよ』って言われて。その一言に後押しされて、土地を探し始めました。」

潤一さん「不動産屋さんに『難しい土地でいいから割安の物件を』といったんです。それで紹介されたのがこの土地でした。丸いカタチに傾斜もあって、不動産屋さんでも建物が建つイメージがしにくい土地だったみたいなんだけど、南から陽が入るいい土地だ、と僕は思って。それで初めて紹介された土地をそのまま決めました。年末だったんだけど、すぐに動いて年明けには契約が決まったんだよね。」

澄「駅からの距離とか小学校はどこにあるかとか、思えば何にも考えずに決めちゃったんだよね」

リサーチしたり情報で何かを決めるっていうよりも、直感が働く瞬間を二人とも大事にしてたんだと思う

大きな決断だと思うのですが、決め手はなんだったのでしょうか?

澄「直感だよね笑。どちらか一人がいいよね!って盛り上がってるだけじゃなくて二人ともいいよね!ってなれたら、それを一番に優先しようと。」

潤一「もともと子どもが生まれる前はバックパッカーで海外をよく旅行していました。その時感じていたのは直感が冴えることって豊かになれるっていうこと。リサーチしたり情報で何かを決めるっていうよりも、直感が働く瞬間を二人とも大事にしてたんだと思う。」

そしてお家を建て、お引越しとなるまで、どう進んでいったのでしょう?

潤一「僕はせっかくなので、建築家として自分がやってみたかったことを試してみようと。澄さんからは台所を土間にしたい、ということと二階への階段を部屋の中につくって欲しいというリクエストがあったので、二階と一階がつながっているイメージを持てる家を作ろうと思って。床や壁は自分たちで作業してたから、約1年の作業の間夫婦で何度も険悪になりながら笑。」

澄「引越しが決まって、その時藤野にパン屋さんがなかったんです。うちは朝はパンを食べていたから、自分でパンを焼けるようになろうと思いました。それでパンを焼き始めて。最初はもう石みたいなパン。でも小さかった娘が『お母さんのパンは石みたいだけど美味しいね~』って言ってくれて。それで挫けず焼き続けられた。引越しの準備をしながら日野にいる1年の間に少しずつ、美味しいパンが焼けるようになっていきました。」

シュタイナー学園ありきの引越しではなかったんですね。学園との出会いはいつだったのでしょう?

潤一「それも温泉なんだよね。藤野と日野を行ったり来たりしてた時に温泉で町の広報誌を手にとって。そこに、藤野のシュタイナー学園のことが載っていたんです。」

澄「シュタイナーのことは全く知らなかったんだけど、この学校ならもしかしたら日野で抱えていた違和感を感じずにすむんじゃないかな?と思って。これは運命だ~って盛り上がってシュタイナーのことを調べたんだよね。当時は倍率が高くて入れるかわからなかったんだけど、無事入学できることになって。」

何もかもが希望でいっぱい。そうして晴れて藤野での新生活をスタートされた池辺さんご家族。

後編では暮らしを始めてから感じたギャップや悩み、そんな時を経て気づいていった暮らしの豊かさについて、そして仕事の変化について伺います。

ライター中村暁野

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