シュタイナー学園第14期生
 北川璃奈さん (前編)

「シュタイナー教育」と聞いて思い浮かぶのはなんでしょうか?
メディアを避ける教育、テストや点数による評価のない教育、自然に親しみなんとなく自由そうな教育…。漠然と浮かぶのはそんなイメージでしょうか。
シュタイナー学園は長い時間をかけて築き上げられたシュタイナー教育独自のカリキュラムに沿い「芸術としての教育」「自由への教育」を行う小学校から高校までの12年間の一貫教育です。
いわゆる「普通」とは違うこともありますが、何より大事にされていること。それは子どもが子どもらしく育つということではないかと思います。一人一人の子どもが、その子らしく、その子に沿った成長をしていくのを手助けし見守る。それがシュタイナー教育のおおきな特徴でもあると思います。そんな意味では、一人一人の成長、一人一人の人生こそが「シュタイナー教育らしさ」なのではないかとも思います。
シュタイナー教育を受けた子どもたちは何を感じ、何を考え、現在一人の大人としてどのように社会と関わり、人生を歩んでいるのでしょうか?この連載では卒業生たちのインタビューを通して多彩な一人一人の物語の一端を、お伝えできたらと思います。
シュタイナー学園第14期生
北川璃奈さん

前回の高野翔悟さんよりリレー形式で紹介していただいた北川璃奈さんは、14期生。小さい頃からいろいろな国で教育を受け、現在はフランスの大学院に在籍しています。そんな璃奈さんについて、日本と海外で受けてきた教育についてお話しを伺いました。

父親の仕事の関係で、日本と海外をいったりきたり。母がシュタイナー教育に興味があったので、南アフリカでシュタイナー学校をみつけるとすぐそこに転入しました。

 

  • シュタイナー教育に触れるきっかけとなったことを教えてください

「生まれたのは兵庫県ですが実際に住んだことはなく、高校生まで父親の仕事の関係で日本と海外をいったりきたりしました。生後10ヶ月の時にコートジボワールというアフリカの赤道直下の国に渡り、約1年後に千葉県に帰ってきました。その後、千葉でモンテッソーリの幼稚園に入園しましたが、4歳の時に南アフリカのヨハネスブルグという街に引っ越すことになりました。南アフリカでも最初はモンテッソーリの幼稚園に入りましたが、母は私が生まれたときからずっとシュタイナー教育に興味を持っていたので、ヨハネスブルグでシュタイナー学校をみつけるとすぐそちらに移りました。Michael Mount Waldorf Schoolという、幼稚園入園前のクラスから高等部まである大きなシュタイナー学校で、私はそこで幼稚園の途中から4年生までを過ごしました。」

 

  • 南アフリカのシュタイナー学校はどんな存在でしたか?

「シュタイナー学校はヨハネスブルグの街に溶け込んでいたように思います。学校では週2~3回Organic Marketというマーケットも行われていて、野菜や手作りの品、そしてシュタイナーのおもちゃや文具等を販売していました。このマーケットが一般に開かれていたこともあって、ヨハネスブルグのシュタイナー学校は地域に自然と存在していたように思います。孤立感がなく、他の数ある学校の内の一つという感じでした。」

 

  • 南アフリカで受けた教育はどんな印象が残っていますか?

「南アフリカが多民族国家だということもあり、クラスにはアフリカ人、西洋人、そして少しですがアジア人もいました。ひとクラスは約30人で、私の下の代からは一学年2クラスに増えていた記憶があります。南アフリカでは英語が公用語の一つなので、基本的に授業は英語で行われていましたが、その他の公用語である、植民地化された際にオランダの人たちが作ったアフリカーンス(Afrikaans)という言語や、南アフリカの一大民族であるズールー(Zulu)民族の言語も一年生から学びました。ズールー民族や、ブッシュマンというまた別の民族など、自然の中で動物と共に暮らしている人たちが、民族衣装である動物の皮の服を着て学校にダンスを披露しに来てくれる等、アフリカ特有のイベントもありました。学校では、神話やフォルメンの授業が好きでした。3年生か4年生の頃の、家作りの授業の際に、みんなで大きい木の周りにツリーハウスを作ったのが楽しい思い出です。農場体験なども記憶に残っています。」

 

教科書には習う内容がすでにきれいにまとめられていて、重要なところは太字にさえなっていて、それ以上何をすればいいのかと戸惑いました。

 

  • その後も各国を転々としたのですか?

「4年生まで南アフリカにいた後再び日本に戻り、3ヶ月間だけ世田谷区の公立の学校に在籍しました。南アフリカでは治安が悪くて一切外を歩けず、公共の交通機関も使うことはできない環境でした。なので、それまで親と離れて行動をしたことがなかったので、日本の環境に慣れるまで帰国子女を受け入れている近くの公立小学校に入りました。そこではシュタイナー学校で受けて来た教育とは全く違う教育でした。日本の生活にも慣れ、電車にも一人で乗れるようになった5年生からは、公立の学校に籍をおいたまま、当時はまだ学校法人化されていなかった三鷹のシュタイナーシューレに転校しました。6年生の時に学校法人化された学校が藤野に移転して、藤野の校舎で一学期を過ごした後、6年生の9月から家族でフランスに引っ越すことになりました。7年生の終わりまでをフランスのシュタイナー学校で過ごし、その後、シンガポールに引っ越しました。シンガポールにはシュタイナー学校がなくて、日本人学校に入り、中学2年生・3年生(8,9年生)を過ごしました。いわゆる日本の義務教育に戸惑うこともありましたが、それは必要な経験だったと思っています。高校入学の時点で日本に戻り、国際基督教大学(ICU)の高校に入り、そのまま大学もICUに進学しました。大学の途中で1年間フランスに交換留学をして(2016年に)ICUを卒業しました。私は4人兄弟の長女で、弟と妹の一人は大学生、末の妹は高校生です。妹二人は南アフリカで生まれました。フランスに住んでいた頃までは全員シュタイナー学校に通っていました。」

 

  • シュタイナーシューレや藤野のシュタイナー学園の印象は?

「シューレではそれまで少なかった日本人の友達がたくさんできてうれしかったです。在学していたのはたったの1年半だったのですが、クラスメイトとはもっと昔から知っていたかのように深い結びつきができて、今でも大切な仲間たちです。公立校や日本人学校では、授業で教科書を使いましたが、そこには習う内容がすでにきれいにまとめられていて、重要なところは太字にさえもなっていて、それ以上何をすればいいのかと戸惑いました。教科書や資料集は便利でしたが、受け身になってしまうところがあると思いました。

また、シュタイナー学校ではエポック授業が毎日あって、1日や一定の期間軸となるテーマがはっきりしていましたが、他の学校では6時間目まで細かく分けられた時間割の中で、毎時間いろいろな科目をやって少し混乱しました。シュタイナー学校ではエポックの時間は国語であればしばらくは国語をやり、オイリュトミーや水彩等の他の授業でもそれに関連した学びをするので、その時一体何をやっていて何に集中すればよいのかということがより明確だったように思います。どのシュタイナー学校でも基本的に試験はありませんでしたが、学んだことが自分の中に自然と取り込まれる感覚がありました。日本のシュタイナー学校では、大嶋先生との陶芸や、古賀先生の音楽の授業など、楽しい思い出です。私のように転校を繰り返していても、その後何年経っても昔在籍していたクラスにずっと居場所を感じ続けることができるのはシュタイナー学校の良いところだと思います。それだけ生徒同士や先生と生徒の結びつきが濃厚なのだと思います。」

 

シュタイナー教育が大切にしていること、日本の一般的な教育が大切にしていることの違いを垣間見ることができました。

 

  • シンガポールの日本人学校はいかがでしたか?

「シンガポールの学校は、人数が多くて1学年4~5クラスありました。日本人学校だったのでもちろん日本人ばかりで、まずは日本人社会になれるのが大変だったのを覚えています。フランスから引っ越したので、全く違う気候に最初は体調を崩しました。再び母国語で、日本の義務教育を学ぶのは新しい感覚でした。シンガポールには日本の塾がたくさんあって、私も高校受験の為に通っていました。そのような環境の中で、シンガポールでは日本の教育のあり方を知ることができました。日本の教育に対して考えることはたくさんありますが、シンガポールの学校や塾では優秀な人たちにたくさん出会いました。シュタイナー教育が大切にしていることと日本の一般的な教育で大切とされていることの違いなどを垣間見ることもでき、大切な2年間だったと思っています。」

 

生後10ヶ月の頃からいろいろな国で、いろいろな教育を体験した璃奈さん。後編では日本に対する国際的な視点と、フランスの大学院で学んでいる音楽学について伺います。

ライター 越野美樹

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